『時刻表2万キロ』を30年ぶりに読んだ感想 [鉄道・旅行]
『時刻表2万キロ』は、1978年に発行された本である。当時、中学1年生で、鉄道友の会に所属していた私に、父がこの本を買ってきてくれたことを覚えている。
しかし、その当時、私は『たのしい時刻表』のような本が好きだった。
この本は、「時刻表裏話」的な内容で、小学校低学年のころに、くり返し読んだ。
そんな私には、宮脇さんの哀愁漂う、奥深い文章が理解できるわけがなかった。理解できるには、子供すぎたということだったのだろう。
その後、宮脇さんは「最長切符の旅」「廃線跡」などのテーマの本を書かれたが、これらも時刻表マニアだった私には新しいテーマに思えず、それどころか二番煎じに思え、触手が伸びなかった。
そのため、最近まで、宮脇さんの本は読まなかった。まして、一度読んだことのある『時刻表2万キロ』は。
しかし、原武史さんの著書などで宮脇さんが取り上げられているのを見て、最近、いろいろ読み始めた。
そして驚いた。そこには、私がいたからである。30年たって、私も宮脇さんの世界が理解できるようになったのだろう。
で、『時刻表2万キロ』を読んでの感想だが、ひとことでいうと、「ウラヤマシイ」である。
・まだ、国鉄が健在の時代である。幹線には、特急、急行が頻繁に走り、ダイヤが複雑であり、「読む」楽しみが深い。
・周遊券が売られている。北海道ワイド周遊券なんて、乗りつぶしにはもってこいだった。
・夜行列車が数多く運転されている。富士やはやぶさが廃止されるなんて、あの時代には考えられなかった。
・食堂車も健在。いまは、普通の特急には皆無である。
・客車列車が普通に走っていた。今は、寝台列車にしかない。
・なによりも、JR成立前で、全国にローカル線が数多く存在していた。ロー丸船がへった分、今は全線乗りつぶしは楽になったが。
一方、当時より今のほうがいいことがあるとすれば、「指定券が取りやすくなった」ことぐらいであろうか。昔は、指定券をとるのが大変だった。
まあ、昔をうらやましがっていてもしかたがない。今は今の楽しみ方を模索するのみである。
しかし、その当時、私は『たのしい時刻表』のような本が好きだった。
この本は、「時刻表裏話」的な内容で、小学校低学年のころに、くり返し読んだ。
そんな私には、宮脇さんの哀愁漂う、奥深い文章が理解できるわけがなかった。理解できるには、子供すぎたということだったのだろう。
その後、宮脇さんは「最長切符の旅」「廃線跡」などのテーマの本を書かれたが、これらも時刻表マニアだった私には新しいテーマに思えず、それどころか二番煎じに思え、触手が伸びなかった。
そのため、最近まで、宮脇さんの本は読まなかった。まして、一度読んだことのある『時刻表2万キロ』は。
しかし、原武史さんの著書などで宮脇さんが取り上げられているのを見て、最近、いろいろ読み始めた。
そして驚いた。そこには、私がいたからである。30年たって、私も宮脇さんの世界が理解できるようになったのだろう。
で、『時刻表2万キロ』を読んでの感想だが、ひとことでいうと、「ウラヤマシイ」である。
・まだ、国鉄が健在の時代である。幹線には、特急、急行が頻繁に走り、ダイヤが複雑であり、「読む」楽しみが深い。
・周遊券が売られている。北海道ワイド周遊券なんて、乗りつぶしにはもってこいだった。
・夜行列車が数多く運転されている。富士やはやぶさが廃止されるなんて、あの時代には考えられなかった。
・食堂車も健在。いまは、普通の特急には皆無である。
・客車列車が普通に走っていた。今は、寝台列車にしかない。
・なによりも、JR成立前で、全国にローカル線が数多く存在していた。ロー丸船がへった分、今は全線乗りつぶしは楽になったが。
一方、当時より今のほうがいいことがあるとすれば、「指定券が取りやすくなった」ことぐらいであろうか。昔は、指定券をとるのが大変だった。
まあ、昔をうらやましがっていてもしかたがない。今は今の楽しみ方を模索するのみである。
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