新旧テツ3人@板谷峠越え [鉄道・旅行]
先日、会社の夏休みを利用して、南東北へ行ってきた。
大宮→仙台→槻木→福島→米沢→赤湯→荒砥→赤湯→山形→左沢→左沢
というルートである。
まず、槻木から福島までは阿武隈急行に乗った。
旧国鉄の路線のためか、駅はJRと共有。
阿武隈急行は、「急行」という割には速度は速くなく、また急行が走っているわけでもない。
80分ほどで福島に到着。駅ビル内のそば屋で昼食を取り、その日のメインイベントである福島→米沢間の「板谷峠越え」に臨んだ。
12時54分発の電車に乗った
この区間は、急勾配の峠越え区間として有名である。昔はスイッチバック駅が連続していたそうだが、いまは山形新幹線が猛スピードで走り抜ける。
しかし、各駅停車は本数が少なく、青春18切符での踏破はむずかしいのである。今回の行程も、この区間を中心に考えた。
今回、福島駅のホームには30分ほど前に到着したが、すでに電車が停車していたので、さっそく乗り込んだ。すると、この電車は運転席の真後ろに座席があったので、そこに座った。正確にいうと、進行方向左側に運転席があり、その後ろは運転席がじゃまなので、進行方向右側に座った。
これで、座りながら前方展望を楽しめる。
発車時間が近づくと、だんだん車内は混んできた。発車間際になって、腰がくの字に曲がった、80歳は超えている感じのヨレヨレじいさんが乗ってきたが、空いている席に座ってくれてホッとした(特等席を譲りたくないし)。
しかし、安心するのは早かった。悪夢はそれから始まったのである。
電車が定刻に福島駅を発車すると、そのじいさんがフラフラと立ち上がり、私の目の前に陣取って、前を見始めたのである。腰は曲がったままで、電車が揺れるとヨロヨロしながら。
すると、それを見かねたおばさんが、じいさんに「危ないから座ったら」と促し、無理やり座らせた。しかし、じいさんはすぐに立ち上がる。じいさんがおばさんに訴えるには、「峠越えが見たい」というのである。
私が席を譲ってやればいいのだろうが、こっちとしても早起きして高い電車賃を払ってここまで来たわけである。じいさんも座る席はあるわけで、それでも立ち上がるのは趣味の世界の話であり、そこでは立場は同等である。そんなに見たいなら、早くから来ればいいだけの話である。しかも、地元なんだからいつでも見られるだろう。
なんて考えながら、なんとなく居心地が悪く感じていた。
お節介なおばさんは、2駅めの庭坂で、「気をつけてね」といいながら下車。
「うるさいのがいなくなった」とホッとしたのもつかの間、さらに事態は悪化することに。
運転手が、通路の前にある窓に、ブラインドを下げたのだ。じいさんの目の前の窓がふさがれたわけである。
すると驚いたことに、じいさんは運転席のドアを叩き始めた。で、なにごとかとドアを開けた運転手に、「前が見えない。峠越えが見たい」と訴えたのである。
運転手は、「ここからトンネルに入るので(車内の光が反射するので)、ここは締める。でも、右側は開けておくから、そこから見てくれ」と説明。
といわれても、右側から見るためには、私にのしかかるように立たなければならない。このじいさんは、実際にそうしかねない。
ここに至って、私も観念して立ち上がることにした。じいさんの執念に負けた形である。
そのじいさん。後ろから見ると若そうに見えるが、かなりの高齢
じいさんは、体を右に曲げて、前を見ている。すると、前述のように腰が曲がっているため、お尻は隣の人のももの上に乗ってしまう。体が不安定なので、座っているのに両手でしっかり支える必要がある。
急に、じいさんがももに乗っかってきたので、隣の席のおじさん(60歳くらいか)は驚いていた。が、その人もいままでの経緯を見ていたので、すぐにあきらめていた。
じいさんと入れ替わって立ち上がった私が、60歳くらいのおじさんを改めて観察してみて驚いた。その人もテツ(鉄道好き)だったのである。なぜそう判断したかというと、付箋を山のようにはった小型時刻表を見ながら乗っていたから。
なんと、80代、60代(以上の年齢は推測)、40代(私)のテツが、狭い空間にひしめき合っていたのである。
だからといって、そこからなんの発展もないが。
けっきょく、そのじいさんは米沢駅の一つ手前の関根駅まで、全面展望を堪能。私は座ることもできず、前もよく見えない状態で立っていたしだいである。
ちなみに、関根駅で通路のブラインドは上げられたが、それは峠越えが終わったから。じいさんが降りた後の席に座ったが、とくに特徴のある景色ではなかった。
大宮→仙台→槻木→福島→米沢→赤湯→荒砥→赤湯→山形→左沢→左沢
というルートである。
まず、槻木から福島までは阿武隈急行に乗った。
旧国鉄の路線のためか、駅はJRと共有。
阿武隈急行は、「急行」という割には速度は速くなく、また急行が走っているわけでもない。
80分ほどで福島に到着。駅ビル内のそば屋で昼食を取り、その日のメインイベントである福島→米沢間の「板谷峠越え」に臨んだ。
12時54分発の電車に乗った
この区間は、急勾配の峠越え区間として有名である。昔はスイッチバック駅が連続していたそうだが、いまは山形新幹線が猛スピードで走り抜ける。
しかし、各駅停車は本数が少なく、青春18切符での踏破はむずかしいのである。今回の行程も、この区間を中心に考えた。
今回、福島駅のホームには30分ほど前に到着したが、すでに電車が停車していたので、さっそく乗り込んだ。すると、この電車は運転席の真後ろに座席があったので、そこに座った。正確にいうと、進行方向左側に運転席があり、その後ろは運転席がじゃまなので、進行方向右側に座った。
これで、座りながら前方展望を楽しめる。
発車時間が近づくと、だんだん車内は混んできた。発車間際になって、腰がくの字に曲がった、80歳は超えている感じのヨレヨレじいさんが乗ってきたが、空いている席に座ってくれてホッとした(特等席を譲りたくないし)。
しかし、安心するのは早かった。悪夢はそれから始まったのである。
電車が定刻に福島駅を発車すると、そのじいさんがフラフラと立ち上がり、私の目の前に陣取って、前を見始めたのである。腰は曲がったままで、電車が揺れるとヨロヨロしながら。
すると、それを見かねたおばさんが、じいさんに「危ないから座ったら」と促し、無理やり座らせた。しかし、じいさんはすぐに立ち上がる。じいさんがおばさんに訴えるには、「峠越えが見たい」というのである。
私が席を譲ってやればいいのだろうが、こっちとしても早起きして高い電車賃を払ってここまで来たわけである。じいさんも座る席はあるわけで、それでも立ち上がるのは趣味の世界の話であり、そこでは立場は同等である。そんなに見たいなら、早くから来ればいいだけの話である。しかも、地元なんだからいつでも見られるだろう。
なんて考えながら、なんとなく居心地が悪く感じていた。
お節介なおばさんは、2駅めの庭坂で、「気をつけてね」といいながら下車。
「うるさいのがいなくなった」とホッとしたのもつかの間、さらに事態は悪化することに。
運転手が、通路の前にある窓に、ブラインドを下げたのだ。じいさんの目の前の窓がふさがれたわけである。
すると驚いたことに、じいさんは運転席のドアを叩き始めた。で、なにごとかとドアを開けた運転手に、「前が見えない。峠越えが見たい」と訴えたのである。
運転手は、「ここからトンネルに入るので(車内の光が反射するので)、ここは締める。でも、右側は開けておくから、そこから見てくれ」と説明。
といわれても、右側から見るためには、私にのしかかるように立たなければならない。このじいさんは、実際にそうしかねない。
ここに至って、私も観念して立ち上がることにした。じいさんの執念に負けた形である。
そのじいさん。後ろから見ると若そうに見えるが、かなりの高齢
じいさんは、体を右に曲げて、前を見ている。すると、前述のように腰が曲がっているため、お尻は隣の人のももの上に乗ってしまう。体が不安定なので、座っているのに両手でしっかり支える必要がある。
急に、じいさんがももに乗っかってきたので、隣の席のおじさん(60歳くらいか)は驚いていた。が、その人もいままでの経緯を見ていたので、すぐにあきらめていた。
じいさんと入れ替わって立ち上がった私が、60歳くらいのおじさんを改めて観察してみて驚いた。その人もテツ(鉄道好き)だったのである。なぜそう判断したかというと、付箋を山のようにはった小型時刻表を見ながら乗っていたから。
なんと、80代、60代(以上の年齢は推測)、40代(私)のテツが、狭い空間にひしめき合っていたのである。
だからといって、そこからなんの発展もないが。
けっきょく、そのじいさんは米沢駅の一つ手前の関根駅まで、全面展望を堪能。私は座ることもできず、前もよく見えない状態で立っていたしだいである。
ちなみに、関根駅で通路のブラインドは上げられたが、それは峠越えが終わったから。じいさんが降りた後の席に座ったが、とくに特徴のある景色ではなかった。
続き楽しみです!
by kan (2008-08-10 11:16)
kan様、いつもお読みいただきありがとうございます。返事が遅くなりすみません。がんばります。
by ルナトラ (2008-08-16 11:07)