生まれながらのコーチ [水泳]
コーチというものは、いつからコーチなのであろうか。
私は大学生のころ、出身高校のコーチをしていた。その高校では、卒業生が在校生のめんどうをみるのが慣例になっているからである。つまり、それまでいっしょに泳いでいた1〜2歳上の人間が、いきなり「コーチ」として教え始めるのである。
幸い、私は泳者としてはその高校の記録を持っていたし、キャプテンでもあったので、コーチに就任したときに、選手からは「コーチ」として迎え入れられた。実際は、指導経験はもちろんないし、手腕も未知数であるにもかかわらず、である。
その後、大学3年のときに、私はコーチ陣を束ねる「総監督」になった。主な仕事は、中高男女4チームのコーチを任命し、管理することである。そのさい、泳者としての実績がある者がコーチになるときには、「実績があることは、コーチとしてアドバンテージがある。でもそれは最初のうちだけだから、その間に選手に認められるコーチになってほしい」、目に見える実績がない者には「一生懸命やっていれば、その熱意は選手に伝わる」、というようなことをいっていた。
実績がない者は、「なんでその人がコーチなのか」を選手に納得させるために、より努力が必要なのである。しかし、実績がある者でも、努力は必要であるが。
実際のところ、両者の違いは「最初に、コーチらしく見られているか」どうかだけであって、ちゃんとした指導力のある「コーチ」になるには、努力が必要だし、時間もかかる。
私がいま通っているスイミングクラブでは、以前、「指導経験がない」「ウオッチが読めない」「練習計画が立てられない」コーチを、選手達が追い出したことがあるという。
いやしくも、人の上に立つ者には、それだけの能力が要求されるということであろう。いきなり「コーチでござい」といわれても、選手からは認められないケースはけっこうあるのではないか。これは、水泳に限らず、世間ではよくあることだと思う。
幸い私は、いまのスイミングクラブのコーチは、情熱は不足ぎみだが、知識には一目置いている。よって、きちんということを聞いているのである。
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