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これでいいのだ!赤塚不二夫氏に学んだこと [免疫]

私が小学校の低学年のころ、国分寺に住む祖父の家に泊まりに行くのが楽しみであった。祖父は、300円くらいお小遣いをくれるので、南口駅前にあった書店で、『天才バカボン』の単行本を買ったことを覚えている(金額は記憶違いがあるかもしれないが)。


天才バカボン誕生40周年記念 天才バカボン THE BEST 講談社版 (KCデラックス)

天才バカボン誕生40周年記念 天才バカボン THE BEST 講談社版 (KCデラックス)

  • 作者: 赤塚 不二夫
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/10/17
  • メディア: コミック


これは、昨年出た本。小学館版もある。


当時の単行本は、講談社ではない出版社から出ていたように思う。とっておけば、それなりに価値が出たと思うが。

そのころ、バカボンの話の中でいちばん好きだったのは、パパとバカボンが地下にアリの巣のようにトンネルを掘る話である。見開き一面を使い、地下トンネルのタテ断面図が書いてあるページがよかった。

地中の電話線を引きちぎって、ラーメン屋に出前を頼むのもよかった。「どうやってダイヤルを回したんだ」「場所はどうやって伝えたんだ」と、心の中でマジで突っ込んでいたが(小学生ですから)。

いまになって話の深さに思い至っているのは、医者の会議の話である。

医者が数人集まって、手術のことを「しゅじゅつ」と呼ぶか、「シリツ」と呼ぶかを議論している。1人だけ、「手術」と呼ぶのを主張するが、多数決で「シリツ」になってしまう。この理不尽さ。

民主主義の欠陥を指摘しているようでもあり、日本人の「場」「空気」の論理を示しているようでもある。

愚かな人たちの集団によって、愚かな結論が導き出されることがある。その人たちは、自分が愚かであることにすら、思いが至らない。

その対抗策は、その集団から抜けるしかないのだろうかねぇ。

まあ、社会ってそういうものだと、赤塚先生からのメッセージにいまごろ気づいたしだいである。

話は変わるが、いま世間から絶賛されているタモリの弔辞の中で、一つだけ気になったことが。最後に、「私もあなたの作品の一つだ」ということをいっていたが、これってけっこう危うい言葉ではないか。

『天才バカボン』『おそ松くん』などの傑作たちと、自分を同列になぞらえているようにも取れる。一歩間違えると、ゴルフの石川くんと同じくらい、傲慢な言葉にも思えるのである。

しかし今回の場合、タモリの追悼の真情が伝わってきたため、そのように取る人はいなかったようである。私も、赤塚先生を悼む気持ちが大きいからこそ、タモリの言葉に違和感を覚えたのだと思う。

それにしても、早すぎる死である。やはり不摂生と、ハードワーク(心身のストレス)が、寿命を縮めたのであろうか。

ご冥福をお祈りいたします。
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