青春18きっぷの旅 千葉〜茨城〜福島〜新潟〜群馬〜埼玉 その5(鮭の焼漬弁当と上越線) [駅弁]
1137に新津駅に着き、早速改札を出て、駅弁を買いにいった。新津駅は、駅弁が豊富なのである。
以前にも食べたことがあったが、おいしかった印象があったので、鮭の焼漬弁当にした。
三新軒製。990円。さて、弁当を買って、ホームに戻り、食べる場所を物色。ほかにそんな人はいないので、目立たないようにと思い、跨線橋の下で食べ始める。
それが大失敗。その日は風が強く、跨線橋の下は突風がすごかった。ちょっと気を抜いたすきに、弁当を入れていたビニール袋と、ふたとひもが飛んでいってしまった。弁当本体が助かったのは奇跡的であった。
飛んでいったゴミたちは、隣のホームで快速くびき野3号を待っている人たちの前の線路に落ちた。そのまま、どうしようもないうちに、電車が到着。特に問題はなかったが、ゴミを散らかしてしまい申し訳ない気持ちに。
焼漬弁当は、風をよけるため、跨線橋の下の自動販売機の前に立って慌しく食べた。
記憶よりも焼漬が小さかった。味はかなり濃いがうまい。
ガツガツとかき込んで、新津1155発の新潟行きに乗車。これは、長岡行きの電車までの時間をつぶすために、適当な駅まで行って帰ってこようという魂胆である。
1201に荻川駅着。特にやることもなく、反対側のホームに移動。
花壇があった。
ホームはやけに長い
ちょっと待った後、荻川1219の長岡行きに乗車。6両編成で、ボックス席が全部埋まるくらいの混雑。一番前の車両に乗った私のボックスは、終点まで誰も寄ってこなかった。
6両だと、かなり長い印象になる。
長岡までは退屈な車窓。田園風景。1323に長岡に着き、1346の水上行きに乗り換え。
長岡駅では仕事の電話が入り、現実に引き戻される場面も。しかし、この20分休みの間で解決。
水上行きは3両編成だった。
6両できた乗客が3両に乗るので、混んでいた。
長岡から先、特に越後湯沢~水上間は、運転本数が少ない。本日のスケジュールも、その区間を中心に考えたものである。
越後滝谷駅を過ぎると、右に信濃川が見える。越後川口駅では、飯山線の単行気動車が見えた。乗客はほとんどいなかった。
六日町駅で、車内は少し空いた。この辺は、昔スキーをしによく来たところである。ただし、車でであるが。
子供のころは、日本一長い駅名だったような気がする
越後中里駅直前。客車がたくさん並んでいて、スキー場の施設として使われている(いた?)
中里スキー場も、一度来た覚えがある。まさに駅前のスキー場である(岩原スキー場は、駅から徒歩10分かかる)。見た目より、難しいコースだったような記憶がある。
その後、清水トンネルに入るのを待っていたかのように、車内検札が始まった。なんだか「逃がさない」感じで、やな気分。
清水トンネル内の車内風景。
土合あたりでは雨で景色が悪い。オバテツ(テツの新種。おばさんの鉄道好き)4人が、立ち上がって車窓を見て騒いでいる。時代は変わった。
ループ線も、湯檜曽駅の眺望もよくわからないまま、上越線最大のポイントを過ぎてしまい、1544に水上着。
ここでは、3分の待ち合わせで高崎行きに乗り換える。が、なんと跨線橋を渡って、隣のホームに移動しなければならない。わざわざ、乗客にこんなめんどうな思いをさせなくてもいいではないかと思う。JRの駅では、ときどきこういう乗り換えの場面に出くわす。
水上駅には、スイカ対応の自動改札があり、首都圏に戻ってきたような感じがする。
6両編成。湘南色。
車内は、地元の高校生でにぎわってくる。沼田、岩本駅で、車内を女子高生5人が走っていた。その駅で降りる先輩に対し、挨拶をするためであった。
その5人のうちの1人が、先輩2人と話を始めた。
「NとIはラブラブだが、Iには奥さんがいるから、Nが嫉妬している」
とのことである。どうやら、先生の噂話らしい(もちろん、実名でしゃべっている)。
そんな高校の内部事情を聞きながら、電車は蛇行する利根川に沿って走っていた。
1650に高崎着。ここで私は、高崎線経由の行程を変更し、八高線に乗ることにした。
ここでも3分の待ち合わせであるが、八高線のホームは辺鄙な場所にあり、ちょっと走った。
八高線は3両編成で、車内はつり革が全部埋まるくらい混んでいた
一番前のほうで立っていたが、群馬藤岡でかなり空き、ボックス席を占領できた。
八高線は、改札がほとんどの駅で西側にあった。なぜだろうか。
1721に高麗川着。すでに暗い。1737発に乗り換え、一駅のって1746に東飯能着。ここで西武池袋線に乗り換え、飯能まで一駅乗った。
高麗川から先、接続はあまりよくなかった。
飯能ではすぐの乗り換え(ホームは同じ)で急行に乗り、それまでのことを考えると、あっという間にひばりヶ丘に到着。
長い一日であった。
以前にも食べたことがあったが、おいしかった印象があったので、鮭の焼漬弁当にした。
三新軒製。990円。さて、弁当を買って、ホームに戻り、食べる場所を物色。ほかにそんな人はいないので、目立たないようにと思い、跨線橋の下で食べ始める。
それが大失敗。その日は風が強く、跨線橋の下は突風がすごかった。ちょっと気を抜いたすきに、弁当を入れていたビニール袋と、ふたとひもが飛んでいってしまった。弁当本体が助かったのは奇跡的であった。
飛んでいったゴミたちは、隣のホームで快速くびき野3号を待っている人たちの前の線路に落ちた。そのまま、どうしようもないうちに、電車が到着。特に問題はなかったが、ゴミを散らかしてしまい申し訳ない気持ちに。
焼漬弁当は、風をよけるため、跨線橋の下の自動販売機の前に立って慌しく食べた。
記憶よりも焼漬が小さかった。味はかなり濃いがうまい。
ガツガツとかき込んで、新津1155発の新潟行きに乗車。これは、長岡行きの電車までの時間をつぶすために、適当な駅まで行って帰ってこようという魂胆である。
1201に荻川駅着。特にやることもなく、反対側のホームに移動。
花壇があった。
ホームはやけに長い
ちょっと待った後、荻川1219の長岡行きに乗車。6両編成で、ボックス席が全部埋まるくらいの混雑。一番前の車両に乗った私のボックスは、終点まで誰も寄ってこなかった。
6両だと、かなり長い印象になる。
長岡までは退屈な車窓。田園風景。1323に長岡に着き、1346の水上行きに乗り換え。
長岡駅では仕事の電話が入り、現実に引き戻される場面も。しかし、この20分休みの間で解決。
水上行きは3両編成だった。
6両できた乗客が3両に乗るので、混んでいた。
長岡から先、特に越後湯沢~水上間は、運転本数が少ない。本日のスケジュールも、その区間を中心に考えたものである。
越後滝谷駅を過ぎると、右に信濃川が見える。越後川口駅では、飯山線の単行気動車が見えた。乗客はほとんどいなかった。
六日町駅で、車内は少し空いた。この辺は、昔スキーをしによく来たところである。ただし、車でであるが。
子供のころは、日本一長い駅名だったような気がする
越後中里駅直前。客車がたくさん並んでいて、スキー場の施設として使われている(いた?)
中里スキー場も、一度来た覚えがある。まさに駅前のスキー場である(岩原スキー場は、駅から徒歩10分かかる)。見た目より、難しいコースだったような記憶がある。
その後、清水トンネルに入るのを待っていたかのように、車内検札が始まった。なんだか「逃がさない」感じで、やな気分。
清水トンネル内の車内風景。
土合あたりでは雨で景色が悪い。オバテツ(テツの新種。おばさんの鉄道好き)4人が、立ち上がって車窓を見て騒いでいる。時代は変わった。
ループ線も、湯檜曽駅の眺望もよくわからないまま、上越線最大のポイントを過ぎてしまい、1544に水上着。
ここでは、3分の待ち合わせで高崎行きに乗り換える。が、なんと跨線橋を渡って、隣のホームに移動しなければならない。わざわざ、乗客にこんなめんどうな思いをさせなくてもいいではないかと思う。JRの駅では、ときどきこういう乗り換えの場面に出くわす。
水上駅には、スイカ対応の自動改札があり、首都圏に戻ってきたような感じがする。
6両編成。湘南色。
車内は、地元の高校生でにぎわってくる。沼田、岩本駅で、車内を女子高生5人が走っていた。その駅で降りる先輩に対し、挨拶をするためであった。
その5人のうちの1人が、先輩2人と話を始めた。
「NとIはラブラブだが、Iには奥さんがいるから、Nが嫉妬している」
とのことである。どうやら、先生の噂話らしい(もちろん、実名でしゃべっている)。
そんな高校の内部事情を聞きながら、電車は蛇行する利根川に沿って走っていた。
1650に高崎着。ここで私は、高崎線経由の行程を変更し、八高線に乗ることにした。
ここでも3分の待ち合わせであるが、八高線のホームは辺鄙な場所にあり、ちょっと走った。
八高線は3両編成で、車内はつり革が全部埋まるくらい混んでいた
一番前のほうで立っていたが、群馬藤岡でかなり空き、ボックス席を占領できた。
八高線は、改札がほとんどの駅で西側にあった。なぜだろうか。
1721に高麗川着。すでに暗い。1737発に乗り換え、一駅のって1746に東飯能着。ここで西武池袋線に乗り換え、飯能まで一駅乗った。
高麗川から先、接続はあまりよくなかった。
飯能ではすぐの乗り換え(ホームは同じ)で急行に乗り、それまでのことを考えると、あっという間にひばりヶ丘に到着。
長い一日であった。
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