島原を散策 [京都]
壬生界隈を散策したあと、島原方面まで歩いていった。
途中、遅い昼食をとろうと思ったが、この界隈には適当な店がなかった。そこで、丹波口駅近くのびっくりドンキーへ行った。
その隣の和食の店に入ろうとしたら、「3時で終わりです」ということで断られたからである。
東京だとあまり行かないドンキーであるが、家族には好評だった。
それはさておき、昼食後、角屋に行った。
島原に唯一残る揚屋
ここは、芹沢鴨が大暴れしたとの逸話がある。暗殺された夜も、ここで宴会をやってから、八木邸に戻ったという。私たちがたどった道を、新選組隊士が行き来していたということであろう。
角屋は、1Fが「角屋もてなしの文化美術館」として公開されているが、すでに閉館時間が迫っていたので、外から見るだけにした。
が、やはり中を見てみたいので、いずれまた来たいと思う。
次は、輪違屋に行った。
西武鉄道のマークと似ている。もちろん、こちらが元祖
ここは、現在も営業中の置屋である。バーも併設されているそうだが、やはり一見さんお断りなのであろうか。
浅田次郎の小説、「輪違屋糸里」で有名である。私は浅田次郎が嫌い(主に顔)で、『壬生義士伝』しか読んだことがなかったが、今回のために、『輪違屋糸里』も読んでおいた。
が、前者に比べて後者は泣ける場面が少なく、創作部分に入り込めず、現地へ行っても感慨はなかった。
どんな太夫さんがいるのであろうか
その後、島原大門をくぐって島原を出た。
狭いところに奇跡的に残っている
途中、遅い昼食をとろうと思ったが、この界隈には適当な店がなかった。そこで、丹波口駅近くのびっくりドンキーへ行った。
その隣の和食の店に入ろうとしたら、「3時で終わりです」ということで断られたからである。
東京だとあまり行かないドンキーであるが、家族には好評だった。
それはさておき、昼食後、角屋に行った。
島原に唯一残る揚屋
ここは、芹沢鴨が大暴れしたとの逸話がある。暗殺された夜も、ここで宴会をやってから、八木邸に戻ったという。私たちがたどった道を、新選組隊士が行き来していたということであろう。
角屋は、1Fが「角屋もてなしの文化美術館」として公開されているが、すでに閉館時間が迫っていたので、外から見るだけにした。
が、やはり中を見てみたいので、いずれまた来たいと思う。
次は、輪違屋に行った。
西武鉄道のマークと似ている。もちろん、こちらが元祖
ここは、現在も営業中の置屋である。バーも併設されているそうだが、やはり一見さんお断りなのであろうか。
浅田次郎の小説、「輪違屋糸里」で有名である。私は浅田次郎が嫌い(主に顔)で、『壬生義士伝』しか読んだことがなかったが、今回のために、『輪違屋糸里』も読んでおいた。
が、前者に比べて後者は泣ける場面が少なく、創作部分に入り込めず、現地へ行っても感慨はなかった。
どんな太夫さんがいるのであろうか
その後、島原大門をくぐって島原を出た。
狭いところに奇跡的に残っている
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