SSブログ

光縁寺でお墓参り。 [京都]

二条城からは、歩きで四条大宮近くの光縁寺へ行った。ここは、山南敬助の墓があることで有名な寺である。

ちょうど20年くらい前、大学生のときに新選組史跡巡りをしたとき、偶然、見つけて訪れたことがある。

といっても、行ったことがあると覚えているだけで、それ以外のことはほとんど忘れていた。

四条通の1本南側の道を、西に歩きながら、寺を探した。私の記憶では、道の左側だったような気がしたのだが、実際は右側にあった。

PA0_0230.JPG
寺の入り口は閉まっていた




で、寺に入ろうと思ったら、はり紙を発見。

PA0_0229.JPG
見物、見学はお断りと書いてある


「見物 見学はお断りします お墓参りの方だけお入りください」といわれれば、私は物見遊山に来ているわけだから、入ってはいけないように思われた。が、昔も入っているし、入っていいんだよなと思っていたら、妻が「お寺の人が手招きしている」という。

そこで、小さな入り口から寺内に入ると、住職らしき人が待っていて、説明をしてくれた。

いちばん印象的だったのは、
「伊東甲子太郎や藤堂平助は、まずここに埋葬されたのに、あとで墓を暴かれた」
「うちは墓を暴かれたほうだ。だから、墓石には名前が入っている」
というような説明があったこと。

明治新政府から見れば、「賊軍の新選組隊士といっしょに、仲間を埋葬できるか」ということだろうが、光縁寺さんから見れば、官軍も賊軍も関係なく、死者を埋葬しただけである。

立場が違えば、見方も違うと痛感した。


そして、住職がおっしゃるには、
「ちょうど、今日は山南さんの法要をしているので、あとでお焼香していってください」
とのこと。歓迎されているのかと思いながら、本堂のわきを通って、まずお墓にいった。


PA0_0231.JPG
右端が山南さんのお墓。左端はいろんな人が合祀されていた

お墓は、嵐電の線路際にあった。お墓の写真を撮るのは不謹慎かと思いながら、写真を撮って、手を合わせた。

そして、本堂に上がって、山南さんの位牌の前でお焼香をした。なんで法要をしていたのは聞かなかったが、ラッキーだと思った。

お焼香ができたことで、なんとなく、幕末という時代が、現代につながっていると感じたしだいである。



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。