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阿久悠のこと [桜田淳子]

阿久悠さんが亡くなり、私なりに考えたことを伝えたいと思う。

まず思い出すのが、数年前に新聞の連載で、テレビ番組の『スター誕生』について、阿久悠さんが回想していたことである。

そのなかで、初めて桜田淳子を見たときに、
「この子は、音痴じゃなければいい」
と思ったというのである。つまり、歌は二の次で、ルックスだけで勝負できる彼女のスター性を、一目で見抜いたのだ(と、この発言を私は解釈している)。

デビュー後も、桜田淳子のヒット曲のほとんどは、阿久悠さんが担当している。

TWIN BEST

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  • アーティスト: 桜田淳子
  • 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
  • 発売日: 1998/11/06
  • メディア: CD

桜田淳子のシングルとライブが入っている。私も持っています

ここからは、桜田淳子からは離れて述べたいと思う。

阿久悠さんのすごさについて考えると、頭に浮かぶのは、西城秀樹の『ブーメランストリート』である。「きっと自分に戻ってくるあなた」を、「ブーメラン」と表現するのは、まあわかる。しかし、「ストリート」ってなんだろう? なぜ「道」なの?

西城秀樹の歌では、『ブーツを脱いで朝食を』も印象的である。なぜ、「ブーツ」が出てくるのだ?

そのほか、ピンクレディーの一連の曲もすごいですね(ペッパーって何? ピンクのサウスポーってどういう意味?)。

そのオリジナリティの高さ、歌い手によって詞を書き分ける能力は、まさにプロの仕事である。その矜持には脱帽である。

彼の作った歌達は、それが歌われた時代の空気を反映していて、聞くだけでそのころが甦ってくるのである。

その一方で、最近のクリエイターと呼ばれるような人々の仕事は、オリジナリティが低いと思わざるを得ない。とくに思うのが、分野は少し違うが、CM業界の低迷である。

これはマーケティング重視の弊害だと思うが、最近のCMは、ターゲットとなる世代の郷愁を誘うような、古い歌を使うことが多い。それで、一定の効果をあげるのかもしれないが、いまの時代を現すものは、何も残らない。使い回しばっかりしていたら、使えるものはなくなってしまう。

一方、阿久悠さんの脂がのっていた時期のCM(やCMソング)は、いまでも覚えているものが多い(この辺、ちょっと具体性に欠けるか?)。

新しいものを生み出すのは、パワーもいるし、リスクもある。だが、歩みを止めてしまったら、ジリ貧になってしまうのは必然ではないだろうか。



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